2010.10.9 「友人に聞かれて、博士キャリアの課題整理をしてみました」



最近、友人から、次のような質問をされました。

  1. どうしてポスドク、博士の就職難、キャリア問題が生じたか
  2. この問題を放置するとどうなるか
  3. どのような対策を取ればよいか

この3つの質問に次のように答えました。

  1. どうしてポスドク、博士の就職難、キャリア問題が生じたか:

  2. 課題はほぼ、この10年くらいの間に出尽くしたと思うのですが、それらに全ての当事者が向きあえていないことが問題なのだろうと感じております。

    この問題については、博士自身の「専門性」と「指向」と「能力」とに分けて考えると現状をとらえやすいのではないかと考えております。

    つまり、就職ができない(就職しない)博士は、上記の要素のうちの少なくても一つ以上に問題を抱えているのではないかと考えております。それぞれどういうことなのか、私自身の認識は後で述べますが、元々、「専門性」や「指向」の問題に関しては、以前から博士課程に内在していた問題なのでしょうけれど、それが解決されることなく、大学院を漠然と拡大してしまったために、定員の拡大による「能力」の問題も新たに加わり、問題が大きくなっていったということなのだろうと思います。

    そして、そのような状況に陥ったのは、本人のせいもあれば、大学教員のせいもあれば、大学に投じられる国費について真剣に考えてこなかった政府、ひいては納税者のせいもあるでしょう。

    以下にこの3項目がどのような点で問題なのかを述べようと思います。

    まず「専門性」について。

    昭和63年の大学審議会答申「大学院制度の弾力化」によって、博士課程の目的として、学術研究の担い手の養成だけではなくて、社会の様々な分野において高度な専門性をもって活躍する人材の養成が求められることになり、その後、大学院の量的な拡大がなされてきました。

    その際に、学術を社会に適用するという意図を欠いた拡大がなされたのかなという印象をもっております。すなわち、人文・社会科学系および理系の基礎分野、応用分野の区別なく、すべての分野が均等に拡大させてしまったことが問題の一つとしてあるのではないかと感じております。

    例えをいくつかあげると、ひとつには理学部は全般的に、学部レベルにおいても、キャリア問題が生じております。これは、次に述べる「指向」にも絡むことなのかもしれませんが、学生が自分の学ぶ学問の社会の中での位置づけを把握しづらいということなのかもしれません。そのため、理学系の大学院を拡大すると、大学院レベルにおいて、就職に向けての意識付けがうまくなされないという現象を拡大させるということはあるのだろうと思います。

    もうひとつ例を挙げると、バイオ分野においては、欧米において工学であるいわゆるバイオテクノロジーが盛んであると言われている一方で、日本が基礎に寄っていると言われているのが、産業分野への就職を妨げている面があるのかもしれません。

    次に「指向」についてですが、博士課程に行くような方というのは「好き」だからという理由だけで、研究を続けたいという方が結構いるのではないかと感じております。個人の指向についてとやかく言うべきではないのですが、「研究ができれば食えなくてもいい」といった考えをもっている人が結構な割合、学生、ポスドク、教員にいるように思います。

    「自分はいかに食べていくか」といったことを考えられないと、研究を仕事としては認識できないのではないかと感じております。

    好きなことができればいいとだけ考えている人は、職探しをしても、うまくいかないのではないかと思います。企業や大学にしても公的な研究機関にしても、一緒に仕事をする人は選びたいでしょう。

    「好き」だけでやっていることは、どんなに高級なことをやっていたとしても、所詮趣味でしかないと思います。趣味でやっていても、学問分野の発展や社会の発展に資することはあるのかもしれませんが、そのようなことはそれほど多くはないと思います。

    次に「能力」についてなのですが、これは、二つに分けて論じる必要があるのではないかと認識しております。

    一つ目は、大学院で学ぶ資格についてです。最近は大学院入試の内容をかなりやさしくしているところもあるようです。これが心配なのは、大学院入試というのは、入学希望者に対して、あらかじめ何を知っておいてほしいのかといったことを知らせる重要なメッセージの役割も担っているということを認識されているのだろうかということです。

     

    大学院ではそれぞれの分野に関する専門性の高いことを学ぶわけですが、それを学ぶためには、学生にも当該分野におけるある程度の専門性が当然ながら要求されるはずです。なぜなら、その分野での専門知識や常識を知っていないと、講義や研究室における営みの中で何が議論されているのかとかなぜそれが議論されているのかがわからないという事態に陥ってしまうからです。

    それぞれの分野での専門知識というのは、それぞれの分野でコミュニケーションをとっていく上で必要なものであり、それなりに前提となる専門知識がなければ、大学院で得られるものもおのずと限定的にならざるを得ないと思われます。大学院で学んだことが消化不良のまま大学院を卒業していく人が、多いのではないかと思います。

    最近は、学歴ロンダリングという言葉まであり、簡単に入学できる「難関大学」の大学院の紹介が雑誌でなされたりもされておりますが、入試のあり方はしっかりと考えるべきだろうと思います。

    二つ目は、大学院で学ぶことの価値についてです。何年か前に、経団連から「イノベーション創出を担う理工系博士の育成と活用を目指して−悪循環を好循環に変える9の方策−」(2007年3月20日)という報告が発表されたことがあります。これは、大手企業における研究担当の役員などが話し合ったというものらしいのですが、博士課程は、学生にどのような付加価値をつけてくれるのかといったことを問うたものです。

    このような問題意識の前提となっているのは、修士課程修了時点で同じくらいの研究能力をもった学生が企業に入った場合と、博士課程に入った場合とで、その研究能力の伸びにおいて3年後に差がないという共通認識にあるようです。つまり、金をもらって研究をする企業の研究者と、金を払って研究をする博士課程の学生とで、研究能力の伸びに差がないというのはおかしいのではないかということのようです。

    企業で研究業務を行うということと、博士課程で教育の一環として研究を行うことの相違は何であるのかを意識することが必要なのではなかろうかと思います。

    博士課程で学ぶということは、3年間という長い時間と学費・生活費などの多くの費用をかけなければならず、博士課程に進学しなければ得られたであろう収入をあきらめるということにもなります。また、特に国立大学であれば、大学院生一人当たりにかなりの国費が投入されております。それが、卒業後に職業生活を営むにあたって、メリットを生み出さないとすれば個人の人生において問題であるだけではなく、社会的にも大きな損失なのではないかと思います。

    それで、これは蛇足になってしまうのかもしれませんが、3点目として、博士課程のフィルター機能の低下ということを聞いたことがあります。すなわち、博士課程には教育機関としての役割はなかったが、能力の高い人材が入学してくる傾向が強かったので、例えば企業が博士卒からの採用においてババを引く可能性は修士・学部卒から採用するよりも低かったのだけれど、定員が拡大してしまったために、必ずしも能力の高い人ばかりが入ってくるわけではなくなり、安心して採用するわけにはいかなくなったということのようです。

    以上、3点を述べてきましたが、これまでに述べた3点のすべてに絡むこととして、多くの教員や学生、ポスドクが「大学でやる学問は役に立たないものだ」と認識していることに大きな問題があるのではないかと思います。さらに、「役に立たないことがいいことなのだ」などという言動まで吐く人たちまでいて驚かされることもあります。このような認識をもっていることがいろいろな問題に対しての思考停止を招くことの一因になっていますし、時として、問題が生じていることに対する免罪符のようにも機能するのかなというように思います。



  3. もしこのままこの問題を放置したら、どのような結果が引き起こされるとお考えですか?
  4. いくつか思いつくままに主題を立ててみると、

    1. 現在、ポスドクをしていたり、博士課程の学生をしていたりする人はどうなるのか?
    2. 大学・大学院はどうなるのか?
    3. 日本はどうなるのか?

    といったことが挙げられるのではないかと思います。

    まず、「1」の現在、ポスドクをしていたり、博士課程の学生をしていたりする人はどうなるのかについてですが、これも、本人の「専門性」、「指向」、「能力」によって、いろいろと先行きは変わるのではないかと思います。そのため、以下のような表を作成してみました。

    専門性指向基礎知識専門基礎
    1
    2×
    3××
    4×
    5××
    6×××
    7×
    8××
    9×××
    10××
    11×××
    12××××


    先程、「能力」についていろいろと言いましたが、ここでは、本人の「高校までの基礎知識(基礎知識)」と「それぞれの専門分野の学部レベルでの基礎知識(専門基礎)」といった意味で使いたいと思います。

    上記の表の意味についてですが、専門性に関しては、「○」となっているのは、大学だけではなく産業界など活躍の幅の広い専門分野をやっている人を示しております。指向で「○」となっているのは、職業人としてどのように生きていこうかと考えながら生活している人を示しております。基礎知識が「○」であるのは、高校までで学ぶ知識が身についている人を指しており、専門基礎が「○」の人は、自分が専門として関わっている分野のベースになる学部レベルの専門知識が身についている人を表しています。

    表の説明を先にしましたが、だいたい、現在、ポスドクをされていたり、博士課程に在籍したりしている人は、その特徴を上記の表のように分けることができるのではないだろうかと思います。

    上記の表の中で一番問題なのは、指向が「×」である7〜12の群であるのではないかと思います。昔なら「7」や「10」のような人なら、大学でやっていけたのだろうと思うのですが、これからは大学でポストを得るのは難しいのではないかと思います。

    このような方々の何が問題かというと、大学では「好きなことができる」と本気で思っているのか、そのように思いたいのかいずれかだと思うのですが、そのように考えているところかもしれません。そして、大学以外の場所では「好きなことができない」からくだらないと思っていたりしてやっかいです。世の中で人並みに生活している人は、世の中で自分の役割だと思うこと、やるべきことと思っていること(初めから好きでそうなったか、いろいろないきさつがあってそう思うようになったのか、いろいろだとは思うのですが)をやっていると思うのですけれど。

    また、キャリア支援ということに関して言えば、大学や政府などで、もろもろのキャリア支援策を打っても、見向きもしない点も対策の立てようがなくて、やっかいかもしれません。

    彼らがどうなるかと言われれば、政府の科学技術関連の支出がたくさんあるうちは、生活はしていけるのではないだろうかとしか言いようがないです。

    もっとも、「7」「8」「10」「11」の方々の場合は、科学技術関係予算が減ってきて、本当にアカデミックにいることが厳しいという状況になってきたら、指向が変化していき、それぞれの能力を活かせる場所に吸収され、気持ちを新たにして自身のキャリアを形成していくということはあるかもしれません。

    また、同じくらい問題なのは、「基礎知識」の足りない「3」「6」「9」「12」の群ではないかと思います。大学以外への就職活動も厳しいというでしょうし、就職できたとしても、「博士卒」という肩書が重いと感じるでしょう。この群は、「博士をどうする」という意味での対応は難しいのではないかと思います。本人のプライドの問題もあるかと思いますが、失業対策や職業訓練のような労働行政における対応にまかせるしかないように思います。

    そして、あくまでも、本人のキャリア形成という点に限定して言えば、あまり問題とならないのは、「1」「2」「4」「5」の群ではないかと考えております。

    「1」の方であれば、大学でポストが得られる可能性は高いでしょうし、仮に大学でポストが得られなくても、他で専門性をフルに発揮できる場を得ることは容易でしょう。また、「4」の方の場合であっても、大学でポストが得られなくても、社会的に影響力の大きい仕事に就くことというのはできるだろうと思います。

    また、「2」「5」の方であれば、自身の専門で生きていこうとすると、周囲からその専門性について疑われることがあるかもしれませんが、他の仕事にスイッチすれば、活躍の場を見出すことはそれほど難しくないのではないかと考えております。

    次に、大学・大学院に関してですが、日本人への教育機会の提供という点については、短期的にはメリットの方が多いのかもしれません。

    というのは、現在、大学教員になられている若手の方々には、ポスドクとして激しい競争を勝ち抜いてきた方々が多くいらしているため、そのような方々に指導を受けた学生は、おのずと世界を相手にすることが意識できるようになると思われるからです。

    しかし、現在のポスドク競争は激しすぎると思いますし、大学教員になったとしても競争に見合うだけのものが得られるのかというと、以前ほどには魅力的な仕事ではなくなってきていますし、もっとよい就業機会がたくさんあります。だから、よい教育を受けた学生がアカデミックに残ろうとは思わない可能性が高いのではないかと思います。

    そうなると、言い方はよくないのかもしれませんが、よい示唆を受けなかった学生だけがポスドクになり、そのような方々同士が競争をし、大学教員になっていくというループに陥る可能性があると思います。

    そうなると、当然、日本の科学技術における競争力は低下していくでしょうし、国内の大学で世界と張り合えるレベルの教育を受けられる機会も減少していくのではないかと考えられます。そうなると、日本でよい大学教育を受けられないので、よい教育を受けるためには海外に行かないといけないという状況になり、人材養成にかかるコストが大きく跳ね上がることが予想されます。

    最後に、日本がどうなるかについてですが、国内での人材養成がままならなくなってくるわけなので、国力がさらに落ちていくのではないかと思われます。

    国力の低下は、特にいろいろな理由で日本を離れることのできない人たち(心身に障害がある、海外で専門的な仕事をする能力がない、先祖伝来の田畑を守らないといけないなど)に対して大きな影響を与えることになるだろうと思います。

    国力の低下は、就業機会の減少と社会福祉の減少という形で表れると思います。仕事をするということは、社会とつながる上で大切なことと思うのですが、その機会が減少するということは、人によっては人としての尊厳を奪われるということになるでしょうし、社会福祉が減少するということは、人によっては生存までも脅かされるということにつながるのではないかと思われます。

  5. この問題を解決するにはどうすればよいでしょうか?

  6. 「はじめに、「どうしてポスドク、博士の就職難、キャリア問題が生じたか」の問いにおいて、「専門性」「指向」「能力」について話しましたが、対策に関しても、ここに挙げたそれぞれについて考えるとよいのではないかと思います。

    ただし、これから述べるすべての前提として言えることは、この問題にかかわる当事者、すなわち教育をする大学、人材を受け入れる企業・役所、教育を受ける学生、アカデミックで働いているポスドクが、それぞれの立場で真剣に考えることと、そして真剣に考えさせるために国や親(子供のスポンサーとして)は安易に金を出さないということが重要なのだと思います。

    「専門性」に関しては、一つには、企業が大学に寄付と要望を出しやすくすることと、彼らの望んでいることを教育プログラムに落とし込める人材を確保していくことが重要なのではないかと思います。

    例えば、自分たちだけの利益にはならないけれど、金を出すからやってほしいということはいっぱいあるが、今の制度ではなかなか難しいという話をうかがったことがあります。

    また、現在、どのような専門が社会にとって必要になっているのか潮流を読むためにも、学部・学科の再編において、大学人以外の視点も考慮していくことが必要だろうと思います(もちろん、彼らの意見を鵜呑みにするのは危険ですが)。

    例えば、最近、学校基本調査をまとめていて、人文系の専攻を終えた学部生の中の、かなりの人数がSEになっているということを知り驚いてしまいました。話を聞いてみたら、理工系出身者よりも、人文系出身の人に幹を作らせた方が、わかりやすいものを作成するということのようで、人文系の人がかなり求められているということでした。

    また、例えばバイオのように、大学が盛り上がっていたときに日本の産業界が乗り気でなかったので、人材がうまく大学から輩出されないということがありましたが、バイオのようにこれから新しい分野を社会に起こしていくというときには、産業界もしっかりかかわって、大学の独りよがりにならないよう、国の科学技術投資が無駄にならないようにサポートしていけたほうがよいように思います。

    次に「指向」についてですが、まずは親が子供に進路について考えさせるきっかけを作ることが大事だと思います。大学進学、修士課程進学、博士課程進学といくつか人生の選択をする機会があります。大学進学に関してであれば、例えば子供が「生物が好きだからバイオがやりたい」とか「国語が好きだから文学部に行きたい」などと言ってきたら、卒業したら何をしたいのかしっかり考えないと学費は出さないくらい言わないといけないのではないかと思います。また、修士課程進学や博士課程進学に関しても、「今の研究を続けたいから進学したい」などと子供から言われたら、修了したらどうするつもりなのかと問い正さないといけないだろうと思います。

    また、安易に学生支援機構の奨学金も借りられないようにした方がいいかもしれません。せめて、修了後の展望について作文くらいは書かせて、あまりに何も考えていない人にはお金を貸さないくらいの姿勢でいった方がいいように思います(不良債権を増やさないためにも必要なことだと思います)。

    最後に「能力」に関してですが、先程二つ分けて論じましたが、1つ目の「大学院で学ぶ資格」については、入口管理(入試)をしっかりやれば済むことなのではないかと思います。

    2つ目の「大学院で学ぶ価値」についてですが、これは出口管理(修了要件)をどのように設計するのかにかかっているのではないかと思います。これは、大学院での教育目標が定まればおのずと何をどのような順番で学生にクリアさせていけばいいのかが定まってくるのではないでしょうか?これは、各専攻なり各先生方の、教え子にどのようになってほしいのかといった願いが込められるところとなるのではないかと思います。




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