2009.12.31 「『博士の生き方』7年目ですが・・・」



読者の方々から、たまに「さまざまな生き方」への投稿をいただいていましたが、この一年以上ほぼ更新をしない状態が続いており、定期的に訪問してくださっている方々には申し訳ないことをしておりました。

別に時間がなくて、更新ができなかったというわけではないのです。一つ目には、このサイトの運営を自分の生活においてどのように位置づけていったらいいのかということで悩んでおりましたし、二つ目には、このサイトの運営の方向性をどのようにもっていこうかということでも悩んでおりました。

一つ目については、折角、時間を割いてやる以上は、読んでくださる方にとって役に立つだけではなくて、学習する過程で自分自身の成長にとっても役に立つようでなければならないだろうということを感じております。また、サイト開設から6年以上が経過し私自身もそれなりに歳をとってしまったので、「思い」の強すぎる市民活動家のようにはなりたくないなという思いはあります。経験と思い込みで発言するのではなく、課題の歴史的な経緯をある程度追ったり、現状を俯瞰的に見た上で発言ができるようになれたらいいのだけれどと思っております。

二つ目については、博士の就職問題について随分と長いこと議論がされてきておりますが、その内容は随分と変りつつあるように思っています。昔は「博士」として一塊として議論されておりましたが、最近では、専門分野による相違や大学の立地地域による当事者の意識の相違など、個別に議論がなされるようになってきているように思います。一部の人たちを除いてキャリアパスについてあまり過激なことは言われなくなってきているように思います。

思えば、昔はかなり乱暴が議論がなされていたなということを感じます。このサイトを開設する前後であれば、博士はベンチャーや中小企業に行くべきだというようなことが言われていたように思います。今思い出すと恥ずかしくて忘れたいのですが、私自身もその言説に踊ってしまい、東大阪のあるプロジェクトを訪問したこともありました(振り返れば、そのプロジェクトに参加したとしても全くお役に立てなかったと思いますし、役に立たないことでそのプロジェクトにとっては事業が進まないし、自分にとってはキャリア開発ができないということでお互いに不幸なことになっていたように思います)。

その後、博士は高度な研究活動に従事することによって、さまざまな課題設定力とか課題解決能力とかを養っているはずだから、自分の専門分野にこだわらなくても、どこででもやっていけるはずだということが言われたと記憶しております。恐らくは2005年前後からだったと思います。これでうまくいったということもあるのだろうとは思うのですが、不幸なことになったという話はちょこちょことは聞いておりました。不幸なことになったというと言い過ぎなのですが、「なんか違う」みたいな話は聞きます。私自身は分野を大きく変えたのですが、やはり大変でした。いくつかの幸運と職場の方々の支えがあって現在なんとか昔のように自信を取り戻せつつあるように思います。分野を変えたのはいいのだけれど、そのまま低空飛行を続けていくという人も結構いるのではないかと思っております。

この秋、テレビで「不毛地帯」というドラマをやっていました。話自体は、総合商社の活動を通して日本の華々しい高度経済成長を描くとともにその周囲に漂っていた「黒い霧」を描いているものなのですが、その第一話で思わず引き込まれてしまった場面があります(原作にはない場面なのですが)。主人公は元・大本営参謀なのですが11年間のシベリア抑留から帰還してきて、大阪の総合商社の社長からこれからは組織や戦略をもって戦う時代だということで、陸軍で培った組織力や戦略立案能力を活かして欲しいと請われて46歳で中途入社したという人物です。その主人公は入社して、まずは研修だということでその商社の母体となっている綿関係の部署に席をあてがわれます。これまで商売などしたことがないので、当然わけのわからないことだらけの中で日々を過ごすことになります。若い社員からは中年になってからこんなところに来てどうするの?というようなことまで言われてしまいます。主人公は綿について多少勉強しようと考えたみたいで、自宅に資料を持ち帰ってきます。それで、私は「頑張って勉強するのかな?」と思って見ていたんですが、主人公は机の上に広げた資料を勉強していると思ったら、突然畳にぶちまけて、「これからどうしよう」という感じで頭を抱えてしまいます。私はこれを見て自分の入社して1年目、2年目くらいの頃を「あのときは辛かった」と思い出してしまいました。

ちなみに、戦争が終わって、会社員になった元・参謀というのは結構居たようなのですが、社内に場所を得ることができず、あまり使い物にならなかった場合が多かったという話を読んだことがあります。本の分析によると、参謀は自分の手足となる組織をあてがわれた場合にはうまくいったらしいけれど、一人で会社という組織の中に放り出されるととたんに駄目になってしまう傾向があるようだということでした。

「不毛地帯」のように主人公が元・参謀としての専門能力を買われたように、博士課程で学んだ人が、自分の培ってきた専門能力を活かすということは自分自身にとっても、彼らを雇う会社にとっても、彼らの教育に少なくない費用をかけてきた国や親にとっても大切なことなのではないかと思います。

大学を修了して就職をする(会社に入る場合もポスドクになる場合も)と、それまでの環境から大きく変ります。当然、環境が変るとそれに適応するためにかなりのストレスを感じることになります。専門分野まで大きく変えてしまうと専門を変えたことによるストレスも抱え込むことになってしまいます。その上、人によるのかもしれませんが、周囲からの「思ったほど使えない」という視線がすごく痛かったりもします。また、「思ったほど使えない」という期間が長ければ長いほど、それは会社にとっても社会にとっても損失になってしまうでしょう。それに、学んだ専門分野から離れてしまうと、その専門分野は一人の優秀な人材を失うことになってしまうので、その分野にとっての損失になってしまいます(もちろん、本人の熟慮の上での人生選択は尊重するべきだと思いますが、昔のキャリアパスの多様化のように国やしかるべき立場の方々が煽るのはよくないように思います)。また、当然ながら自分の息子や娘が人生を楽しんでいないということになったら親にとっては不幸なことでしょう。

数年前に流行った「キャリアパスの多様化」は、バイオ産業が来ると踏んでバイオ系を拡大したけれど、海外ほど日本の産業界が踊らなかったことで人があまってしまったので、余った人たちをなんとか適当になだめすかして別の分野に転進してもらおうというその場しのぎ的な意図があったのかなと思うのですが、これは博士課程全体がバイオ系と同様な状況にあると錯覚させるような効果があったし、そもそも、なんのために専門の勉強をしたり・させたりしているのだろうということに疑問符がつくようなことだったのかなというように思います。今思えば、キャリアパスの多様化ということを言うよりも、海外に出ることも含めてキャリアを考えてもらって、しかるべきのちに日本に戻ってきたくなるようにするにはどうしたらいいのかを考えた方がよかったのかなとも思います。

最近は、専門分野にもよるのですが、化学系のように学生に博士課程に進んで欲しいということを言う業界も出てきております。話は戻ってしまうのですが、「博士」として一塊で議論をするのではなくて、専門や業界、地域などによって議論の切り口はいろいろと異なってくるのだろうと思っています。短期的な視点で言えば企業などが「博士」を入れることで何がしかの効用がえれられると考えるのであれば入れればいいし、何か大学に要望があれば出せばいいのだろうと思うし、効用がないと思えば「博士」なんて雇わなければいいし、我関せずで放っておいてもらえればいいと思います。需要のない分野は潰していくということも選択肢として出てくるのかもしれません。

ただ、長期的に見ればそうも言えないのかなと思っております。例えば、日本ではバイオ産業が未熟で、バイオ系の人材がだぶついてしまっていると言われますが、そのまま推移してバイオ産業が産業として認識されるレベルまで育たなくてもいいのだろうかと思いますし、実務的に役に立たないと企業も学生も先生も思っている文系(博士課程に限らず学部・学科も)は本当にそれでいいのかということは考えないといけないだろうと思います(社会人基礎力のようなあいまいな言葉で逃げないでほしいところです。最近なんでも「力」をつけたりするのはいかがなものかとも思いますが・・・)。文系も、昔のように「素直で元気が一番いい」という感じで雇っていると企業はまわらなくなるように思います(もちろん、学校歴とか簡単なテストで潜在能力とか初歩的な読み書きそろばんの能力を見たりはするのでしょうけれど)素直で元気な子も欲しいけれど、こういう専門をしっかりと学んできてくれた子も欲しいと言ったり、こういう専門が身に着くように教育をしてほしいと要望が出せるように、どんな人材が必要なのか、その人材をどのように社内で活かしていこうかという考察をしていく必要はグローバル企業と呼ばれるようなところには特に必要なのではないかと思います。

また、直接人材問題に係る事柄ではないのですが、博士課程を修了する人間は、基本的に大企業と呼ばれるところに就職を希望している割合が高いですし、実際に就職する割合も高いのではないかと思っています。友人からの指摘で言われてみればそうだと思ったのですが、大企業の場合、拠点が日本だけとは限らず、世界に広がっている場合が多いので、研究成果が商品化されて生産される場合、かならずしも日本の工場で生産されるわけではない場合も多いと思われます。地球規模で見れば世界のどこかで富と雇用を生み出して、貢献していると言えるのですが、日本にとっては人材養成したメリットがあまり得られない(所得税と市民税を納めるくらいでしょうか)ということは、今後さらにグローバル化が進展する中で出てくることなのかなというように思います。もっともこれは社会制度の問題なのかもしれませんが、考えなくてもいいので少し頭の片隅に入れておいてもいいのかなと思います。

これからも、「博士の生き方」は更新していこうと思っています。人材問題を軸に据えて、博士問題の歴史的な推移とか現在の社会情勢とのかかわりを勉強していけたらと思っています。

会社員としては、この一年はとても充実したものだったように思います。これまで一人で仕事をしていたのですが、何人かと一緒にやるようになりました。その際に、上司から言われたことで印象に残っているのは「一緒にやる人たちの仕事が社内でよい評価が得られるように(よい査定がついて昇進や昇給につながるように)きちん結果が残せるように仕事を進めないといけない」ということでした。割と漠然と社会貢献を考えたりしていたのですが、自分も含めて身近な人たちの幸せを考えることは、まずは重要なことだと感じている次第です。確かに、自分や自分の身近なところからうまくいかないと、もっと広い範囲でうまく回せるわけがないですから。今は来年以降にもうまく回していきたいと年末を迎えて今年を振り返ったりしているところです。

また、この秋に今住んでいる町の総合計画策定のための会議の委員の募集に応じたら通り、春まで委員をやることになりました。最近、委員の顔合わせの会議があったのですが、これからどうなるのだろうかと楽しみにしながら、とりあえず福祉・教育の議論のグループに入ることになったので、それ関係の勉強もしたりしながら過ごしています。地域貢献には興味があったのですが、○○君のお父さんとかお母さんという立場でないとそういう活動はできないではないかと感じていました。今回、いい機会をもらったと思っています。

遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願いします。




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