2007.4.1 「企業は変らなくていいのか?」



最近(2007年3月20日)、日本経団連から「イノベーション創出を担う理工系博士の育成と活用を目指して―悪循環を好循環に帰る9の方策―」という政策提言?が出されました。

前々から言われていることの繰り返しですし、基本的に第3期科学技術基本計画で政府が実施することにしていて、現在実施している内容(「科学技術関係人材のキャリアパス多様化事業」「派遣型高度人材育成協同プラン」、いずれも文部科学省)の追認のみで別に普通に読む飛ばす分には取り立てて何かを喚起されるというものではないのですが、提言の内容を読み、大学や政府への要望ばかりで自分たち(企業)は正しいから変る必要はないかのように書かれているけれど、彼等のいうところの「イノベーションの創出」のためには企業は本当に変る必要はないのだろうかと感じました。

日本経団連はこの報告をまとめるに当たって産業技術委員会の委員を対象としたアンケート調査を実施しているのですが、博士課程修了者に関する問題点を本人の資質と大学の責任に転嫁するのみで自分たちについては還りみることのないことに彼等の考察不足を感じました。また、彼等が問題と考えていることがそもそも本当に問題にして大学や本人たちに要望するべきことなのか、もっと別のことを求めるべきなのではないかとも感じました。

アンケート調査の中で10ページの「博士課程修了者全般の資質について」で、博士課程修了者の業務遂行能力について8割の企業が同年齢の修士課程修了者の知識・業務遂行能力と同等と回答しており、11ページの博士課程修了者の能力の伸びについて、9割の企業が修士課程修了者とほぼ同等と回答しております。また、12ページ、13ページにおいて、博士課程修了者について高く評価しているポイント、低く評価しているポイントというものが記されています。これらのアンケート項目と回答の結果を見ていて思うのは、一つには学士や修士課程修了者と同じ評価指標で博士課程修了者を判断していいものだろうかという点。もう一つには、博士課程修了者の業務遂行能力や入社後の伸びが修士課程修了者と同等であるとしたら、それはもしかしたら企業側の与えている環境に問題があるのではないかという点です。

自分自身の経験で話してしまい申し訳ないのですが、人間の能力は環境によって大きく左右されるものではないかと考えております。以前の職場では泣かず飛ばずだったけれど、新しい職場に移って息を吹き返したという話はよくあるように思います。まともに学位を取得した人間であれば博士課程在籍時は修士課程までとは異なり、いろいろな意味で刺激的な生活ができたのではないかと思います。そういった環境を経験してきた人間は恐らくは修士課程修了者と別物と考えてもいいのではないかと感じます。当然、彼等が生き生きと仕事をできる環境もあれば死んでしまう環境もあるだろうと思います。もしも彼等の能力を殺してしまうような環境であれば当然彼等の伸びしろも少ないものとなってしまうでしょう。

また、特に新卒人材の採用に関してはとかく個人の能力や資質の評価に限定してしまいがちのように思いますが、少なくても博士課程修了者に関してはそれだけでいいのだろうかと感じてしまいます。「博士号」は、研究者になるための免許といわれていますが、研究者集団に属すことを認められた証であるとも考えることができるのではないかと思うのです。博士課程修了者に関しては特にどういったネットワークの中で生きてきたのかという点も考慮される必要があるのではなかろうかと感じます。

イノベーションについてはなんとなく「乾いた雑巾を絞れば絞っただけ何か出てくる」というような発想で語られていることが多いように感じるのですが、このごろの研究開発の現場は、「乾いた雑巾を絞りすぎてもうちぎれそう」という状況に陥っているところが多くなっているのではないかと感じています。これからはどちらかというと「水のたっぷりと入ったバケツに雑巾を浸す」ということも考えていかないといけないのではないかと思います。それは、企業と外部との境界をどのように設定するのか、異質なものとどのように共存を図っていくのかということになるだろうと思います。博士課程修了者は「バケツに水をもたらす」存在にはなれないだろうかと考えます。

多分、今回の経団連の提案で挙げている要望は恐らく学部教育の延長のようなイメージで語っているのではないかと想像するのですが、彼等におもねってしまうと多分それほど面白いともいえない人間を量産してしまうことになってしまうのではないかと思います。もちろん大学院教育に問題がないといくわけではまったくなく、改善されることが必要です。これは大学院教育に係る方々に真摯に向き合っていただきたいことだと思います。




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