2007.5.20 「大学院改革の流れと変らない?大学院」



このごろ、過去20年分くらいの大学審議会とその後を引き継いだ中央教育審議会の大学部会の大学院博士課程に関しての事項が含まれる答申を整理しておりました。「答申」というのは、文部大臣(文部科学大臣)が重要な事項について「有識者」によって構成される審議会に「諮問」した内容を調査検討した報告のようなもので、その中で提言されたものは実際に何らかの形で実施されることが多いです(現場レベルにまで浸透するかどうかはケースバイケースのように思われますが・・・)。

大学院関係の答申を読んでいると、大学院の量的緩和が行われる平成3年ごろまでは概ね大学関係者への信頼が伺えるような内容となっているのですが、その後、平成8年ごろから大学関係者への不信が募っていき、最新の答申ではかなり押し付けがましい内容にまで発展してきているように思います。このような大学院が信頼を失っていく流れを見ていると感慨深いものを感ぜずにはおれません。

はじめに、昭和63年から平成17年までの各答申についてざっと振り返ってみたいと思います。

平成3年に出された「大学院の整備充実について」「大学院の量的拡大について」においては、大学院がよく機能していないのは、設備面や制度面のせいであり、それさえしっかりすれば、きっと大学院の研究レベルもあがるし、大学院修了者のレベルも今以上に上がるという期待があったように思えます。そして、留意事項がいくらかはあるものの、大学院での教育の取組みに関しては各大学院におまかせするということになっており、現在から過去を振り返るとなんだかんだといっても大学教員に対しての一定の信頼があったのだろうということが読み取れます。

しかし、答申ではないのですが、平成8年に出された「大学院の教育研究の質的向上に関する審議のまとめ」においては、大学院の整備をしてきたのにも係らず、各教員の怠慢によって大学院における教育がうまく機能していないのではないか?という懸念が表明されます。

この平成8年の報告からこれまでの徒弟制的な従来のあり方からの修正として「コースワーク」的なものなど導入についての言及が現れたり、主専攻・副専攻といった言葉が出てくるなど、アメリカ的な大学を志向する考えが出てきており、課程制博士課程の意義について考えて欲しいというニュアンスが伝わってまいります。

また、特に博士課程レベルにおける社会とのミスマッチについても懸念が具体的なものに変ってきております。

それから約10年がたって出された答申「新時代の大学院教育」においては、大学院が変化していないという憤りとともに、この報告からさらに具体的となりかつ少し大学院をいわゆる大学院教育を実質的なもの(専攻などで組織的に教育に取り組む)に変えていくためになんらかの強制力もしくはインセンティブを持たせようという考え方が現れてきます。

これは、平成18年3月30日に出された大学院教育振興施策要項となり、期限を設けて大学院における「実質化」の取組みを推進していくとともに、それらの取組みの成果を公開していき、取組み状況を衆人環視のもとに置こうということになりました。

また、「大学院教育の実質化」に向けた取組みのインセンティブとして大学院教育改革プログラムという形で魅力的な大学院教育のプログラムに対してそれを実施するための費用を補助しようという試みもなされるに至っております(ただ、報告書は見栄えよく作れるものなので、実際に効果が上がったかは修了者の成長を長い目で追っていく必要があるだろうと思います)。

私自身は、最新の答申に具体例として記されているコースワークの例が仮になされたとして実効力をもちうるものなのかどうかはアメリカの制度だから問題がないだろうという観点で勧めるのではなくて、検証されることが必要だろうと思います。ただ、平成8年の報告や平成17年の答申で述べられているように大学院における教育がうまく機能していなかった件については、なんらかの組織的な対策がなされる必要があると感じております。

平成3年の答申の量的整備において、社会の需給バランスを鑑みて研究科の再編などをおこなうべしとなっております。人材養成という観点から個人的には明らかにそんなに博士課程に学生を入学させてどうするつもりなのだろうという分野もあり、英断をもって縮小を行えばいいと思うのですが、そういうわけにはいかないのでしょうか?

多様なキャリアパス促進ということが言われておりますが、そのニュアンスとして私自身は、だいたい同じ研究フィールドにおいて大学に残るか企業に移るか、ベンチャーでも起こすかという程度の相違が大学教員にとっても学生にとっても許容できる範囲ではないかと考えております。今後、恐らく専攻の教育目標を定めてそれに基づいて教育をおこなうことが求められるようになりそうですが、そうなると、産業がありえない分野においては「後継者の養成」ということを掲げるしかなくなるのではないかと思います。博士課程において「問題解決能力」がつくとか言われており、実際そうなのだろうと思いますが、それまでに積み上げてきたものをまったく捨てて新しい分野に移るということがあるのであれば、それは本人にとっても損失は大きいですし、社会にとっても損失が大きいことが多いのではないかと思います。

財政縮小の中で教職員数が増えないどころか減少している状況下で大学の先生方は辛い状況にあると思うのですが、よりよい方向にもっていってもらえることを祈念しております。

次回につづきます。




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