2006.11.25 「博士と派遣とベンチャーと」



私が、派遣業者に博士号取得者が行くことに否定的な意見を述べたり、ベンチャー企業への就職に関して、積極的に勧めなかったりするのは、このホームページをよく読んでくださっている方々は感じていらっしゃると思います。

博士号取得者が派遣社員になってしまうことについて、個人がそのような選択をすることに関して、仕方がない面もあると思っていたのですが、このごろの風潮として、大学関係者や研究機関のしかるべき立場にいる人たちが、ポスドクや博士課程修了者の就職先として、派遣業者を頼りはじめたり、ベンチャー企業への就職を勧めるというケースが増えていることに危機感を抱いているということを通り越して強い憤りを感じております。

派遣との付き合いについて、もっともよくない具体例を挙げてみます。ある独立行政法人の巨大研究所では、プロジェクトが終了すると大量のポスドクが吐き出されます。プロジェクトの部門長には、ポスドクの任期が切れるときに、彼等の就職についての面倒を見ることが義務付けられているのですが、プロジェクト終了間際に任期が切れるポスドクに関しては、彼等の就職についての面倒以外にもさまざなプロジェクト終了に伴う業務や部門長自身の今後の身の振り方に関してなどさまざまにやることがあり、ポスドクの就職についてまで手がまわらないということが現状のようです。そのため、そのような心の隙間をついて、部門長などと日ごろ付き合いのある派遣業者がポスドクの周囲をうろつき、彼等に派遣登録をささやきかけることを部門長が認めているというケースが多いようです。

ほかにも知っている事例があるのですが、大学の仕組みの弱点をついたよくないノウハウが派遣業者に共有されるのは、悪いことだと思うので、これだけにしておきます。

ではなぜ、私が派遣業者に対して否定的な意見をもっているのでしょうか?私は、派遣業者を日本社会の中でどのように取り扱うべきなのかについては、考えがまとまっておりません。しかし博士号取得者に派遣業者がかかわるべきでないということは言うことができます。そのため、ここでは、なぜ博士は派遣に行ってはいけないのか私の考えを述べようと思います。ここでは、博士課程取得者個々人の人生をどうしたらいいのかという視点では述べないので、もしかしたら不愉快に思う人もいるかもしれませんが、そのときはご容赦ください。あくまでも日本の高等教育を崩壊から守るためにはという視点で述べます。

近年の傾向として、どこの大学や大学院の修士課程に入学するかに関しては、それぞれの大学の学部、専攻の就職実績というのはきわめて重要な指標となりつつあります。つまり、どこの大学で何を学ぶのかということが、ダイレクトに経済的な価値と社会的なステイタス(世間一般にどのように見られるのか)に結びつく傾向が出てきております。これがいいことか悪いことかはここでは判断しませんが、このような傾向があることは重視せざるをえないでしょう。昔であれば、それほど大学卒業者数も多くはなかったので、大学に入学するということ自体が、経済的な価値と将来のステイタスを導いたのですが、このごろでは、大学数も異常に増えてきているので、本来約束されていた幸せな就職について、大学を卒業するということが必ずしも幸せな就職を約束しなくなってきているということも一因としてあるでしょう。

大学院博士課程に関しては、これまで、大学や修士課程と比べて、卒業後の経済的な価値の約束よりも、大学や公的な研究機関に「いる」ことができるというステイタスが手に入るという点が入学者、教員の間で共有されてきておりましたし、現在もそのような傾向にあるように思います。ただ、大学院博士課程に関しても大学と同じように入学者数が増えた現状もあり、また、大学がこれまでのように象牙の塔として孤高を保つことはできず、社会との積極的な交わりを期待されるに至り、そのような偏ったステイタスだけの追求を大学の外は認めなくなりつつあります。「博士号」に対しても経済的な価値を求める傾向というのが出てきているように感じられます(例えば雇用する企業側からすれば、博士号取得者を入れることが会社の利益に貢献するかどうかという視点が強く求められるでしょうし、博士号を取得しようという学生としては、それなりにこれまでの研鑽に見合った報酬(一つは、給与面、もう一つは修士課程を出て社会に出る以上のステイタス)が手に入るかどうかが問われるでしょう)。

このような傾向がある中で、博士課程修了者に対して派遣社員になることを大学・研究機関が勧めているということになったらどうなるでしょうか?派遣社員個々人については、派遣社員の報酬が低く、社会的な地位が低いことは周知のことです。今後も社会的な地位が上がることはないでしょう。また、社会の中での派遣業者という視点でみたときには、社会全体で人件費の節約による余剰資金は生み出したかもしれませんが、新たな富を生み出す仕組みでないことは自明です。国立大学であれば、多額の税金が校費だけでなく、さまざまな研究資金という形で博士課程の学生の研鑽のために流れ込んでいます(どこまでを研究費とみてどこまでを教育費とみるのかという問題はありますが)。彼等を教育した大学の教官としては、彼等を派遣業者にやってしまうというのは、自らの教育というものが、お金をかけたにもかかわらずその程度の価値しか与えられなかったと認めるようなものではないのかと感じてしまいます。最近は、派遣社員もポスドクの代替要員のような形で大学の研究に加わらせるケースもあるようですが、それはあくまでも研究者ではなく、どこまで行っても形式的にはお手伝いに過ぎません。そのような仕事に就くことをそそのかすというのは、学生のキャリア形成を潰すことにもつながっておりますし、後に続く後輩たちに対して、「先輩は優秀だったけれど、派遣社員になってどこまでもうだつが上がらない」と思わせ、優秀な人間ほど博士課程に行くことをためらわせる結果となるでしょう。これは、個々の学生を裏切る結果となるだけではなく、新たな富を生み出して欲しいという社会の要請をも裏切る結果となってしまいます。

博士号取得者のベンチャーへの就職に関してはもう少し話が単純かもしれません。ベンチャー経営者が博士号取得者を雇い入れる場合、すさまじく期待をしてしまっております。特に博士課程取得者に高額の報酬を約束するところはそうでしょう。しかし、ベンチャー経営者たちは、すぐに自分たちが裏切られたことを知ることになります。博士課程修了者たちは確かに基礎学力の高い優秀な人たちが多いのですが、その優秀さは、ベンチャーで発揮されるような優秀さではないからです。博士課程取得者はベンチャー企業で働くような教育は受けていませんし、そのような方向へ進路を志向しているわけでもありません。ベンチャー企業の経営者がファーストコンタクトで出合った博士が「使えない」博士であった場合、彼等の中でのイメージダウンは計り知れません。「博士」の実力を見てほしいところで見てもらえず、イメージダウンを招いていってしまうということは、よくないことでしょう。そのためベンチャーへの就職はあくまでも慎重でなければならないと考えております。

これまでは、博士号取得者は社会とはかかわりのないところで、探求をしておればよかったですし、そのような人たちに対しては世間としても「よくはわからないけれど崇高な人たち」というイメージをもってくれ存在を許してくれていたと思います。仮に大学教員になれなかったとしても、本人が大学で「自分の好きな研究」に打ち込んでいると思い込むことで自分自身のプライドをかろうじて保つことができたと思われます。そのような中で、一部社会に出た博士がたまたま駄目だった場合でも、特殊な人たち」ということでまあ仕方がないかという寛大な気持ちを世間がもってくれたのではないかと思います。そういう意味で、「博士号」の価値には値段がついておらず、「計り知れないもの」として認識されていたのではないかと思います。しかし、博士課程取得者が積極的に社会に出ることを求められ、その結果が派遣社員になることであった場合、その値段はあまりに安いものと捉えられるのではないかと思うのです。また、ベンチャーに行くことに関しては、折角抱かれている「博士号」に対するよいイメージが「過剰な」期待のために、一気にしぼませてしまう可能性が高いことを懸念しております。ベンチャーへの就職支援を行う場合であれば、積極的に本人たちに勧めないという点と大学による支援を保ち続けるということが絶対に必要な条件だろうと考えます。

もしも、博士号取得者の扱いに対して、派遣に渡すという選択肢しか示せないのであれば、彼等の就職支援をおこなうよりは、大学の中に囲い込むことを考えた方が社会からの要請には背を向けることになってしまいますが、博士課程のもっている価値を変えないという点で、まだましだろうと思います(飼い殺すという意味ではなくて、経済的には報いることはできないかもしれないけれど、日本の科学の発展のためにうまく生かしていくという視点)。

大学のランキングで合格ラインが定められないくらいに下位の私立大学においては、派遣業者への学生の登録を就職実績として報告をする事例や、派遣業者の登録会を学内でおこなうところも出始めているようです。日本の高等教育が上と下から蝕まれてきているという現状は、高等教育の制度疲労を表してきていることを象徴しているようにも感じます。




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