2003.10.12 「土木学会誌2002年2月号 Dr.という道」



昔、毎日新聞で「理系白書」という週一の特集があったのですが、そのときに、博士ってなんなのかというテーマを扱っているときに、記者さんが土木学会誌の学生編集委員たちのおこなった特集「Dr.という道」を博士には就職がないということをいうために取り上げられていたので、ずっと頭の片隅にひかかっておりました。最近、ふと思い立って、自分の大学の土木系の図書室まで行って、そのコピーをとってきました。特集は、30ページ近くに及ぶ力作に仕上がっており、その内容についても、編集委員たちの意気込みがひしひしと伝わってきますし、現在の博士を取り巻く、大学・企業そして博士課程の学生自身に関しての課題も取り上げるという、とても興味深いものになっておりました。この特集は土木系を扱ったものですが、とても一般性のあるものだとも思えますので、ぜひ内容を少し紹介したいと思いました。

この特集は3部構成になっておりまして、「第一部 Dr.という道」「第二部 社会はDr.を活かしますか?」「第三部 Dr.を活かそう!」という構成になっています。それぞれについて内容をざっと示します。「第一部 Dr.という道」は問題提起のパートです。まずは編集委員たちが、ドクターというものはどうあるべきだと考えているのか、ドクターの就職についてはどうなのかということをあちこちに取材に行く前に、学生代表のような感じで思いを語っています。「企業はドクターを食わず嫌いしているのではないか」とか「Dr.が日本においてはこの10年で倍くらいに増えているけれど、うまく活用できずにいるのでは」というドクターを取り巻く社会情勢に対しての考えをあげたりしています。またドクターとはなんなんだろうということで、どうしてドクターに進学したのかとか、ドクターの生活とはどのようなものなのか、修士課程の人たちはドクターについてどう思っているのかとか、将来ドクターはどうなっていくべきなのかということを語り合っています。当時修士の方は、ドクターへ行く理由として「博士」という称号にあこがれるからというわかりやすい理由を挙げており好感がもてますが、この子がなかなかドクターに対してまとを得たことを言っていて、自分は「人の役に立つ」ということよりも「自分の興味」を優先させるところがあり、工学博士には向いてはいないかもと語っています。自分の興味を優先させる人が多いということ、これが社会が博士を活用できない一つの理由になっているのかもしれません。また、この特集のとりまとめをおこなっている当時D3の女性は、アメリカの企業に就職がきまっているそうですがそのときに上司になる人に対して自分が年齢が高いのに、実務経験がないので即戦力にならない」ということに対してその上司は「それはトレーニングをすればよい、それが上司である自分の仕事だ」と語ったそうです。このパートは、学生自身も主体的に動く意志を持てるように意識が変わっていったらいいなと述べて締めております。

「第二部 社会はDr.を活かしていますか?」というパートでは、3つの座談会・インタビューが載っています。その中の「企業の本音は?」という企画は、土木系企業の採用担当者たちとの座談会をおこない、ドクターの学生に対してどのような印象をもっているのかを語っています。要約すると、土木系の会社ではドクターを必要というような業務はほとんど存在しないということと、採用に関しては、なんらかの研究プロジェクトにドクターを入れる場合には、専門性を考慮するが、一般の募集に応じてくるのであれば、仕事で専門が役に立つことはまずないこともあるし、人とのやり取りが重要な仕事であるので専門よりも人間性の方で採用の可否を決めるということをあげています。またドクターおよび大学に望んでいることとして、ドクターの学生や大学が社会の要請とは方向のずれている研究をやっていることが多く、もっと社会のニーズを汲むためにも、産業界との連携や、ドクターの学生に対しても、もっと大学の外の世界との接触をもってもらいたいし、いい年の大人なのだから、なぜドクターに進んだのか、ドクターの時代にどんなことをなしたのかしっかり語れるようであってほしいということを希望していました。この特集のあとに大学人の意見として土木学会会長へのインタビューと、企業側の意見として前田建設工業の会長へのインタビューがあるのですが、この両名もドクター学生や大学に対して同じようなことを言っています。特に、土木学会会長の話にはとても共感を覚える部分もありました。課程博士というのは思考回路を作ることが大事である。思考回路というのは、研究の過程でもがき苦しみ、一通り自分で物事の考え方、解釈の仕方を学び、学問を進めることであると、そしてそのように自分で物事を組み立てられるようになったら、それはどのような分野にも応用が利くはずであり、たとえば現在の「ヒューレット・パッカード」の社長は、もともと美術専攻のドクターであったという例もあげております。で、土木学会の会長は、そのように思考回路のできた学生を作るために、大学教官だった時代は、ドクターの学生に対して、実務に応用できるまで論文を煮詰めなければ博士号を出さなかったそうです。また、今の学生に足りていないものとして「人の役にたつために学問をする」「人の役にたつために働く」という思考がない人間がいるということをあげています。このようなことが視野の狭さを招き、大学の外に出て使い物にならないドクターが出てきているとも述べております。最後にドクターは自力で立てるようでなければならないと述べています。痛い言葉でした。

「第三部 Dr.を活かそう!」では、ミシガン大学で教鞭をとっている菊池先生とのインタビューを通じて、ドクターをこれからどうすればよいのか、大学はどうあるべきなのかということを記しています。菊池先生は教育とは「考えられる人」を作ることだと述べております。そして「考えること」は高等教育を受けた人の責務であり、そのような人間を作ることは教える側の義務であると述べています。そういう意味で、日本の大学においては、研究はよくやるけれど、そういったノウハウを学生に伝えることなく、教育の手を抜いているということが往々にしてあるのではないかと述べています。また、学生には、国や家族などから大きく期待され膨大な投資を受けてきているのだから、それを還元できるようにがんばらないといけないのだとも語っています。また、ドクターについては、今の日本社会で受け入れられないのであれば、新しい仕組みを作る努力をしてみたらいかがだろうかと語っていました。なかなか建設的な意見だと思いました。

博士課程の方に限らず、大学生の方々や大学の先生方々にもぜひ読んでもらい、この特集で述べられていることを自分自身の問題として考えてもらえたらいいなと思います。

ドクターに限らず、このところ生きることに喜びを見出せない人というのが増えているようですが、こういったこともこの特集の中にヒントがあるような気がします。「人の役にたつために学問をする」「人の役に立つために働く」という視点の欠如、「考えること」をしてこなかったということが、自分自身の仕事や生きるということに対しての自信をなくし、それが生きることに対してただただ受身の態度に終始させて、生きることをつまらなくさせているのかなと思います。僕自身に関しても、どちらかというと受身でここまで来てたのですが、学会で学生委員長をしてみたり、就職活動をしてみたり、こうやってホームページをやってみたりしていると、案外、なんとかなることもあるんだなと思えるようになって、少しずつですが人生が楽しくなってきています。

なんにしても、この土木学会の特集は読むに値するものだと思います。お勧めします。



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