2003.6.22 「学校推薦について考える」



工学系の大学院では、修士課程の学生に対して、学校推薦と呼ばれる就職斡旋のシステムが存在しています。このシステムは、建前上は、企業の方からある専攻に対して学生を推薦してほしいと頼み、大学側はそれに応えて学生を斡旋するというものです。私の周りだけなのかもしれませんが、どうもこのシステムの形骸化が始まりつつあるのかなと感じつつあります。

学校推薦の運用については、大学や専攻によって、違いがあるようですが、私のいる専攻の場合ですと、今年度は4月頃に学生を求める企業のリストが正式に公表され、学生がその中から第3希望まで選び、定員を超える企業があるようだったら、学生同士で調整を行うか、それが駄目なら就職担当の教官が仲裁に入るかもしくは、当の企業に面接をしてもらって決めてもらうという方法だったと思います(私自身はこのシステムの恩恵には預かれなかったので、詳しくは知りません)。

このシステムを利用した場合、私が修士課程の学生だった頃は、たいがいの学生が第一志望の企業に採用されていました。まれに第一志望の会社に落ちる学生はいましたが、それは、せいぜい5人に一人か4人に一人くらいのものでした。少なくても、昨年度までは、そんな感じて、この就職難の時代にはとてもうらやましく思えるような制度でした。それが、今年度の場合ですと、私の知り得た範囲ですが、7割から8割くらいの学生は、第一志望の会社からは内定を得られていなかったようです。

企業の方から、学生を推薦してくれと頼んでおいて、推薦された学生が気に入らないからと受入を断るとは何事かとは思います。多分、大学は怒らなくてはならない場合なのではないのかなと思ってみたりもします。大学の権威をないがしろにされているわけですから。多分、採用を行う企業の側も、どのような経緯によって、学生が推薦状をもって面接にやってきているのか知っているのでしょう。学生同士の自己調整で決めていたり、じゃんけんで決めていたりといろいろでしょうが、少なくても、推薦状の発行に際して、就職担当の教授なり指導教官なりの「この学生は、この会社に自信をもって推薦できる」という意思が介在することはほとんどないことなのではないでしょうか?

学生が、就職担当の教官から示される企業リストから、自分の意思のみで志望企業を選ぶという行為は「自由公募」と何が違うというのでしょう?このような事情を知っている企業側からすれば、学校推薦というものは尊重するものには値せず(学生を採用しない場合は、あれこれと言い訳に頭を悩ますこともあるそうですが・・・)、企業の中には自由公募の一変種程度に認識し始めているところも出てきているようです。

昔は、恐らく、採用に関してある特定の大学の、ある専攻の人間であれば、誰でもよかったどんな人間でもありがたく頂戴いたしますという時代があったのでしょう。しかし、いまは大手企業を中心にして採用が減ってきている時代のようです。そうなると、折角採用するなら、なるべく優秀な人とか何かやってくれそうな期待のもてる人を採用したいという欲が企業側にも出てくるのかもしれません。そのような時代に、学生の推薦を望んでやってくる企業を小馬鹿にしたような対応、形式的な推薦状の発行を続けていてよいわけがないと思います。大学の先生方は推薦状の意味について、もう一度考え直してみる時期がきていると思います。ぜひ、学生や企業と真摯に向き合って欲しいと思います。

大学の先生方には、ぜひ今後の世の中はどうなるべきかというビジョンを持ちつつ、個々の学生の適性・希望をきめこまやかに把握しながら、推薦状発行までのプロセスを踏んでいただけたらと考えています。毎年のことなのですが、気になるのは、学生の就職希望がせいぜい30か40程度の特定の大手企業に偏るということです。推薦を求めている企業が何百社もあるにもかかわらずです。誰も希望を出していない会社の中には、びっくりするような超優良企業があったり(エンドユーザー向けの商品を作っていないため、あまり知られていないような企業)、このごろ元気な技術系ベンチャー企業があったり、大手の特許事務所があったりとなかなか多様性があるのですが、どうも学生の志向にはあまり多様性はないようです。このような多様性の無さは無知から来ているものではないかと思います。このような無知を埋めていくためにも、学生に対してさまざまな可能性を示していくことが必要となるのではないかと思います。

また、学校推薦というのは、産学連携の道具の一つにもなりうるのではないかと考えています。つまり、学生の就職という形での大学から企業への技術移転です。学生と教官と企業が深く理解しあっていくことで、それぞれにとっての幸福を得ていくことができるのではないかと思います。


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