第五回「博士の生き方」座談会 in 広島「ポスドク問題を再考する」の報告
日時:2007年10月20日 10時〜12時
場所:広島大学・東広島キャンパス・総合科学部棟
目的:
ポスドク問題に関しては、企業の採用に関する体質の問題、本人の資質や能力の問題、大学と産業界のミスマッチの問題、研究室での教育の問題など、さまざまな角度から課題があるのではないかと指摘されているが、現在のところ広く深く議論はなされていない。そのため、できれば直接的に関係のある学生、ポスドク、大学の先生方で率直にポスドク問題について意見交換をおこない年代や専門の相違などの相違を踏まえて議論を広げる機会を作りたいと思い、今回の座談会を企画した。
参加者:
15名
- 大学教員:4名
教授:1名(情報系)
准教授:1名(生物系)
助教:2名(電気系 1名、機械系 1名)
- ポスドク:6名
生物系 3名
化学系 1名
機械系 1名
産学連携関係 1名
- 博士課程学生:2名
生物系 1名
電気系 1名
- 修士課程学生:1名
電気系 1名
- 企業人(博士):2名
土木系 1名
電気系 1名
配布物:
奥井「提言:博士学生のキャリアパスを考える―その多様化と選択に必要なこと―」(化学 Vol. 62 No.10(2007))
概要:
初めに、対話の糸口となることを期待し、「提言:博士学生のキャリアパスを考える―その多様化と選択に必要なこと―」を参加者に配布し、内容についての解説をおこなった。この提言は、2007年3月に「博士の生き方」ホームページ上で博士課程修了者および修了予定者に対しておこなったキャリア意識に対するアンケート結果を元にしたものである。
提言にはアンケート結果の概要を掲載しているが、その中に、「大学・公的機関以外への進路に対する抵抗感は、企業に就職した場合もアカデミックに残った場合も強い。しかし企業就職者の場合は『アカデミック以外に進むことが周囲から“負け組み”と思われる』ことに抵抗を感じていると答える人が多かった」という文章がある。その点に関して、「アカデミック以外に進むことを本当に“負け組み”であると博士課程の学生およびポスドクは考えているのか」という問いがあり、そこから議論がさまざまに発散していった。
議論された点は大きく分けると次の二点である。
- 学位の捉えられ方:
- 学位の基準:
「学位の捉えられ方」に関しては、一つには、学生および学位取得者本人が学位をどのように捉えているのかという話題があった。そして、本人がどのように学位を捉えているのかという点については、個々人が置かれている状況(研究分野、就職状況、個々人の仕事・生活環境など)に大きく依存しているのではないかという示唆があった。また、個々人が置かれている状況に関しては、当事者以外(企業の人事担当者、修士課程以下の学生、親族、仕事仲間など)が学位をどのように捉えているのかという話題があった。
「学位の基準」に関しては、基準があいまいであることが適切な企業への就職活動時期を逃すことにつながっており、そのことが博士課程修了者にアカデミックパスを選択させる理由につながっているのではないかという指摘があった。それに対して、昔から学位取得基準が明確になっている専攻・研究科も存在しているという話が体験談とともに複数なされた。また、近年、ハラスメントに対する目が厳しくなっており、基準の明確化とともに基準の遵守が徹底されるようになって来ているという指摘もあった。
以下に、「学位の捉えられ方」および「学位の基準」について、話題に上がった事項を記す。
学位の捉えられ方についての話題:
学位をどのように捉えられているのかは、博士課程における能力開発の方向性、就職状況、就職後の経済的・社会的立場などをどのように考えるのかという点で、今回の座談会では大きく3つの視点があったと考えている。
- 研究者としてのキャリアに必要であるという考え:
- 多様なキャリアパスを志向する上で活かせる資格とする考え:
- 博士号に対して大きな価値を見出さないとする考え:
それぞれに関しての発言の概要を以下にまとめる。
- 研究者としてのキャリアに必要であるという考え:
- 研究の推進能力、客観的に物事を捉える能力、研究的な思考、体系的に物事を捉える能力など研究に必要な能力は大学院で身につくものと考えており、そういった能力は若いうちに身につけておいた方がいいと思う(化学系ポスドク)。(以下で「・」は、関連した発言)
- アカデミックに行くことが勝ちか負けかというと自分は負けたとは思っていない。企業の人たちのプレゼンを見ていると、こんなことをやっていてどうなるのだろうかと思うことがある。経済的に見れば企業の方がいいが、研究環境に関しては今の方が恵まれている。
- その分野の研究者としてやっていくにはドクターはいると思う。社会人ドクターを何人もみているけれど、ちょっとなーと思うことがある。
- 化学系に関しては企業への就職も恵まれており実際に、ポスドクのキャリアを活かして企業に行く人も多い。また、企業との共同研究の話もよくある。必ずしもドクターがいらないという感じはしない。
- 電機メーカーから見学会をやってほしいという依頼があり、M1を連れて見学に行ったことがある。その際にその会社の常務より「君たちが入社してくれたらうれしいが、ドクターに行ってから来てくれたらもっとうれしい」という話があり、その学年についてはドクターへの充足率が上がった(電気系教員)。
- マスターの就職活動時期が早く、あまり研究をしていない時期に採用を決めないといけないので、学部時代の成績を見て判断することになる。そのため、実際に採ってみて後悔することがある。それに対してドクターは研究に関して最低限のことができる。給料が数万円しか違わないのであれば、ドクターを採った方がよいという会社もある。
- ただし、ドクターの場合4月に学位が取れない人もおり、4月に修了できない場合は人事の担当者が怒られてしまう。そのため、本音ではドクターを採りたいが、そのような冒険はできないという考えもある。
- 企業からはドクターを採らない理由として専門を活かせると勘違いしている人がいるからという理由がある。しかし、ドクターでやっていたことを、企業に行ってもアカデミックに行っても継続してやるということはめったにない。自分も分野を変っているが今やっていることが自分の専門であると考えている(生物系ポスドク)
- 元々物理系に居たが、現在は農学関係に来ており、自分のもっている知識・能力が必要とされていた。それで今は業績も挙げている。
- 海外ではドクターをもっていないと研究者として認められないと聞いているが、日本の場合はどうなのだろうか?(電気系博士学生)
この質問に対して以下の回答があった。
- 海外ではドクターがないと研究者としてはみなされず、ドクターをもっていないと会議の席につけない場合もある。海外では明確に差別される(化学系ポスドク)。
- 国際会議のホテルにおいてチェックインのときに「ドクター」にしるしをつけるとホテルマンの対応が全然違う(電気系教員)。
- 研究者とテクニシャンが明確に分かれているが、相互に尊重しあっている。日本の場合は、あいまいでマスターを出て助手になる人がいたし、昔は国研などの研究員にマスターを出てなる人も多かった。そういう人がいなくなるまではドクターの価値は上がらないのではないか。(生物系ポスドク)
- 欧米における学位の審査は厳格なものであるらしい。イギリスから来たポスドクの話によると学一週間かけて主査と副査が議論をして彼が学位にふさわしいかどうかを審査するらしい。学位に対しての扱いに社会的な相違があるので、日本人の学位に対する価値観はあまりかわらないのではないか。(生物系教員)
- 多様なキャリアパスを志向する上で活かせる資格という考え:
- ドクター後の就職状況が厳しいことは知っている。自分自身はアカデミックの残ることが勝ちか負けということは考えていない。厳しい状況の中で自分はどのように生きていいったらいいのかを考えており、融合分野にいることもあり、今とは異なる分野に行ってもいいと考えている。ドクターは研究とは異なる分野でも活かせる資格と考えており、科学コミュニケーターや学芸員、教員といった仕事もよいと考えており、学芸員資格の学習をしたり、科学コミュニケーターをやったりしている。自分のキャリアをどのように伸ばしていくのかを幅広く考えている(生物系博士課程学生)
- 研究の道で職を失った友人は高校の教師になっている。博士は科学技術に関する高いリテラシーをもっているのであるから、アカデミック以外にもちゃんと分野を用意するべきではないか。欧米では学位をもった教師も多いと聞く。日本にも例えばバイオの学位をもった中等教育の教員が居てもいいのではないか?学位をもった人間の待遇を少しよくして、そういう方面に導いていくこともいいのではないかと思うが、そのような方向には行っていない(生物系教員)
- いわゆるアカデミックの分野で常勤職になるという意味での“勝ち組”は少なくなっていくのはでないか。理由は、少子化、定員削減による。特に基礎生物学の分野では、教員かポスドクになれないと研究から離れるしかなくなる。教員になっても任期があり、その間に死ぬ気で業績を挙げてステップアップしないといけない。年齢が上がるとそれだけポスドク先もなくなってしまう。分野によるが非常に厳しい状況である。
- 最近は、学生に対してはドクターに行っても職がないとずけずけと言っている。自分はポスドク→助手と順調に来たが、最近はさらに状況が厳しくなってきている。
- 博士号に対して大きな価値を見出さないとする考え:
- 専門性があるが、汎用性がない。専門性といっても狭い範囲のもので、そこから出て企業に行った時に困った(土木系会社員)
- バランスよく勉強をすることが大事であるが、そういう点でバランスが欠けていた。
- 企業と大学で時間軸が違う。企業は8時間が一日であるが、大学は24時間が一日である。この相違に戸惑った。
- 民間企業に就職したが、給料が大卒と一緒でへこんだ。アカデミックに残った人が業績を出したりポストを得たりするのを横目に見るとつらい。
- 指導教員から結婚こそが幸せだと言われた。
- 学内の政治を見てきたので、ある意味での社会性は身についた。
- 自分の分野は就職があると思われているが、マスターまでの就職はとてもいいのだが、ドクターの学生の就職は厳しい。地元の関連するメーカーからはドクターはいらないといわれる。修士の学生はドクターに行く学生は変わり者というイメージをもっている。ただ、ドクターに進学する学生自体は特にそういった気持ちはもっていない(機械系教員)。
- 昨年出た学会で「研究者として生き抜くためには」というセッションがあった。その中で企業の人が博士はいらないという話をしていた。(生物系ポスドク)
- 日本の企業はマスター以上の能力を要求していない?(生物系ポスドク)
- 共同研究で一緒に仕事をしている人からその人の会社に紹介してもらったことがある。しかし、人事まで進んだところで話がおじゃんになってしまった。ただ、本当に探せば仕事はあるのではないかと考えている。(機械系ポスドク)
- ドクターを採用しないといっている企業から社会人ドクターがよく派遣されてきている。何かをするというわけでもなくドクターをとっていってしまう。課程博士であれば少しは苦労も経験するが、論文だけを出してドクターをとっていくのが主流になってしまうのではないか?(化学系ポスドク)
学位の基準:
学位審査の基準については、いくつかの話が出たが、概ね方向性としては内規を確立させ、それに基づいて動いていこうということになっているようである。博士課程の学生が就職活動をする場合においても、学位がとれるかどうかが非常にネックになっており、結果として就職活動をすることなくポスドクになったという話もあった。
以下に学位審査についての話題を記す。
- 専攻内にさまざまな背景の教員がおり、分野によって論文の出やすさが異なるし、インパクトファクターの高い雑誌に出せるかどうかも異なる。そのため、専攻として細かくは決められない。そのため、基準としては、論文一本とカンファレンスペーパーのみでOKということにしている。3月に学位をとろうとすると、前年の10月か11月に論文がそろっていればよいことになる。就職活動をするには少し遅いけれど(情報系教員)。
- 自分が学位をとった大学は基準が明確であり、事務に行くとそこの学生と教員は基準が書いた紙がもらえ、それにいつまでに申請をするといつ学位がとれるのかが明確になっていた。ただ、教員からは学位をとるようにという指示がないため、学位の申請は自分でしないといけなかった(電気系教員)
- 自分が学位をとったところも取得条件について内規がきちんときまっているが、主査との関係もうまく行った方が取得までの流れがスムーズになる。内規があるのはもちろんよいことで、主査との間に何がしかのわだかまりがあっても、内規がある以上は学位を出さざるを得ない(産学連携関係ポスドク)
- 最近は、学生が大事という考えになってきており、内規を満たしているのに、感情的なことではんこを押さないということは完全なハラスメントであり、そういうことはなくなってきている。(生物系教員)
まとめ:
以上、「学位がどのように捉えられているのか」と「学位の基準」を中心にディスカッションの内容を整理した。ここから学生、ポスドクなどの当事者にとっては、個人・分野の置かれている背景とそれを各人がどのように認識するかで考え方が大きく異なることがみえてくる。
当事者が学位を研究者として渡っていく上で必要なことであると考える場合には、彼を研究者として必要とする場所が大学だけに限らず企業など大学の外にも広く存在していることが考えられる。その一方で、当事者が多様なキャリアパスを志向する場合にはその背景として研究者と生きることが大学以外では困難であるという状況があるとも考えられる。
博士課程をある専門性をもった人材の養成を目的とすると考えるのでれば、博士の多様なキャリアパスを唱える場合には研究分野によっておかれている状況が大きく異なるということを念頭におかないといけないと同時に、当該の研究分野をいかに発展させていくのかにも留意していくことが必要なのではないかと考える。
今後も座談会を複数回開催することを考えており、議論をさらに進めていきたいと考えている。
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