モラトリアムとしての博士課程

名前:トリム 

所属:国立大学博士課程理系・D3(関西)


私のことについては、このホームページの管理人の紹介のところでも、少し触れておりますが、もう少し、博士課程に進んだ動機あたりから、博士課程に入ってどういう感想をもったかなど、以下に書いていきたいと思います。

博士課程に入った動機は、もともと大学教官や国立研究機関の研究員という仕事に対して漠然とした期待をもっていたのもありますが、そういう期待よりも、自分の同級生達のように、企業に入ろうという気にどうもなれなかったためということもあります。学部生のころなどは、そこそこ成績もよかったので、それにしがみつきたいという気持ちもありました。大学で講義にまめに出てそれで積み上げた成績など、必ずしも社会人になって役には立たない(就職活動ではこれになかなか助けられましたが・・・)ということをなんとなく感じてもいたかもしれません。それに、修士のころにやっていた研究も自分の計画性のなさというか力量のなさのためにあせりが募るだけで、あまりうまくいってはおりませんでしたし、このまま社会に出ると確実につぶれるなとは感じておりました。この当時はまだ、研究者というものについて甘い認識をもっていたため、博士課程に進んで首尾良く大学に助手のポストでも得られたら、そこそこ自分のしょうもない社会に対してのプライド?も満たされるかなと感じておりました。このように、社会に出て確実にやっていけないという認識と、自分の実力のなさを認めたくないというプライドを守るため、博士課程進学を決意しました。

博士課程の入試は、8月の終頃にあります。この頃には修士課程の学生に対する学校推薦による就職活動は収束してしまっているので、後はないことになります。博士課程の入試に関しては、私は自分が修士のときにお世話になっていた研究室に引き続きお世話になることにしたので、自分の指導教官と話し合って了解をとっておきました。入試そのものは、英語の試験と研究発表があるだけでした。このころはまだ結果がほとんど出ていない状況だったので、研究発表は本当に恥ずかしいものでした。

修士課程は、なんとかデータをひねり出して修了し、翌年度、博士課程の学生としていままで通っていた同じ研究室に通うことになりました。そして自分と一緒に学年を上がってきた同級生が回りにいなくなったこと(私の専攻では同学年で博士課程に進んだのは約40人中、2人だけでした)、自分が普通の人とは違った選択をしたことに大きな不安を抱きました。たとえていうなら、みんなが上の階に上がっていっているのに、自分だけが上の階に駆け上るためのはしごを突然はずされたような感じでしょうか。または突然、一人ぼっちになった感じでしょうか。私が博士課程に進む前年度まで、自分の研究室に博士課程を修了してから1年間職探しをして、国立の研究所のポスドクに転じた方がいました。その方には私が博士課程への進学を決めたことについて、馬鹿だと言われていたのですが、その言葉が肌身に染みました。

とりあえず、このまま修士課程までと同じように生活したのでは悲惨な結末だけが待っているという認識をもつにいたりました。博士課程では、3年で修了できるとは限らないですし、修士の人間みたいに、否応なしに就職活動に駆りたててくれることはないですし、かならずしも順調に職が見つかるとは限りません。また仮に見つかったとしてもポスドクの場合ですと、任期の間に次の職を手に入れられるだけの業績をあげられるのかも不安ですし、年を重ねるほどチャンスが減っていくという不安もありました。というわけで、奈落に落ちないために、次のような3つの目標を立てました。@3年間で博士を修了できるように研究をがんばる。もしも発表の機会があれば、ネタをひねり出してでも発表して論文にする。A誰にも知られていないと、消えてしまったときに誰にも気付いてもらえないので、なるべく多くの人と積極的に係るようにする。大学のこともよくわからないけれど、その外のことはなおさらわからないので、できたら大学の外の人とも機会があれば接する。B仮に博士課程から社会へ出るのがうまくいかなかったときのための保険(なるべく自尊心を満たせる程度のもの)を確保しておく。です。

@に関しては、修士の頃に研究したテーマがまだ解決していなかったので、それを引き続き行うことにしましたが、それの前段階の調査や見とおしがなかなかうまく立てられずに苦労をしておりましたが、D1の夏ごろ、見とおしが立ち始めたときに、たまたま次年度初頭に開催される国際学会の案内が来ており、指導教官に発表したい旨、お願いして、途中経過でアブストラクトを書いたりしており、なかなか順調な滑り出し?でした。

Aに関しては、修士の頃に、自分が所属するエネルギー関係の学会に学生委員会があるのを知り、自分の大学の委員の人に頼んで、委員を引き受けさせてもらいました。指導教官からは複雑な感情を示されましたが、勉強になることも多かったです。D1の後半からは委員長も引き受けてみました。この委員会は実質休眠状態に入っていたのですが、学会の支援を取りつけての立てなおしを図ってみましたが、私がハッスルするほど、周りの人達が引いてしまうということもありましたし、私自身にまだまだ人(それも委員会にかかわりたいと考えていない委員達で構成される委員会において)を引きつけるだけの見識もアイデアもない状態で、この委員会で私が入会する前から細々とやっていた学生同士の交歓事業を主に私自身の労力をつぎ込んでやや大規模にやるという程度のことしかできませんでした。学生達は基本的に学会に対しての関係が薄い上に、わざわざ学会発表に来て時間を割いてまで学生同士で交流をしようと空気の薄さも感じており、運営上も空回りすることが多く、メールで呼びかけても(委員が各地に散っているので、連絡は基本的にメール)返事を返してくれる人は少数であり、かつそれほど運営に熱心に取り組んでくれる委員も少なく(彼らに火をつけられない私にも非はあるのでしょうが)、馬鹿らしくなって、委員会自体つぶすことを学会に図ってみようかとも思ったのですが、引き受けてもいいと言うありがたい申し出があったため、さっさと身を引いてしまいました。この活動はだいたい1年半くらいやっておりました。委員長を引きうけたときこそ新しいことばかりで新鮮でしたが、あのような小さな組織でもおおげさな言い方かもしれませんが、人間の姑息さというか人の汚い部分というのを見たり(呼びかけに応じないとか、面倒な仕事は人に押し付けようとするとか)、自分にとってたとえ善意から出ていることでも人にとっては大きな迷惑でしかないことも多いということを理屈ではなくて肌で感じることができたのはとても大きな経験だったかもしれません。

この委員会の活動で得たもっとも大きな収穫は、上記のことに増して、私が大学時代から学び、今も自分がかかわっているこのエネルギー関係分野に対して見切りをつけて他分野への展開を図ろうと本気で考える大きなきっかけとなったことです。私のいる分野は、日本のエネルギー政策にとって、きわめて大きなプレゼンスを示しているものなのですが、技術者・研究者が主体性を発揮できる機会が存在せず、国家主導で研究開発が進められるも、未来への明るい展望を描けていない状況の中で、優秀な方々が、活躍する機会を与えられず、埋もれさせられているという状況をこの委員会活動を通して技術者の方々と知り合う機会があり、その人達の行動、言動を見つづけることによって、そのままこの分野を自分の仕事として選ぶことに恐怖すら感じました。とりあえず、今の研究分野からは抜け出そうと考えたのが就職活動における大きな動機となったのは言うまでもありません。

Bに関しては、D1の5月に国家公務員採用1種試験(以下、国1)のことを知りましたので、それに申し込んでみました。あとになって、これは保険にはなり得ないと感じたのですが、当時は、この試験に受かりさえすれば、無条件で役所に入れるものと考えていました。また、この試験は受かれば、3年間は有効なので、博士課程終了後の保険にはちょうどよいと考えていました。5月の第1週に申し込みをおこない、1次試験(試験は面接を入れて3回あります)は6月の第2週にありました。この間はだいたい1ヶ月程度です。試験は教養と呼ばれる推理問題や時事問題のパートと、専門という試験種毎の専門試験があり、試験の形式になれておけばそれほど怖いものでもないのですが、要領がわからないので、毎日、夜の8時には下宿に帰るようにして、1日3時間か4時間ほどは、試験勉強にいそしむことにしました。どのように勉強したかはまた機会があれば、別途コーナーを設けてみようと思います。試験の方は、最終的に合格したのですが、役所に雇ってもらうためには、官庁訪問と呼ばれる、官庁毎に行われる採用面接を受けないといけません。というわけで、1次試験の合格を知ったあとで、2年後に備えるための様子見のつもりで官庁に訪問してみました。面接といいますと、面接対策本にもよく書いてありますように、自己PRと志望動機が必要になるのですが、面接官に自己PRを求められて、それすらも喋ることができない自分にほとほと嫌気がさして、自分自身の駄目さ加減を認識して関西に戻って参りました。

保険ということに関していうと、「士(さむらい)資格」と呼ばれている公認会計士か税理士の資格でも取ろうかと思ったこともあります。昔から事業を起こすということに関しても漠然としたあこがれがあり(事業家になりたかったり、研究者になりたかったりと、進路の定まらないところもあるのですが・・)、経済であったり、経営であったりというものにも興味がありました。それで、日経新聞の「私の履歴書」などを好んで切り抜いたりしていたのですが、そのような興味が昂じて、博士に入ってから簿記の勉強を少ししたりしておりました。それで、折角だからと思い、日商簿記の試験も2級までは取りました。公認会計士とか税理士への夢?は、そこまでの時間的余裕がなくなったので、やめてしまいましたが、簿記の勉強のおかげで、このごろの経済関係のニュースもわかるようになってきましたし、就職活動をする上でも役に立ちました(受験する会社の財務状況を調べたりとか)。また、違う分野の勉強をしてみるというのはよいストレス発散にもなりました。

あと、保険というわけではなく、就職先としてどうかと思い、中小・零細企業を考えてみたこともあります。ちょうどD2のころのお話です。私が住んでいる地方のとある市は町工場の集積地として全国的に有名なのですが、それらの町工場が協力して面白いプロジェクトを行うということを新聞で読んで知りました。それで、手紙を書いて、そのプロジェクトの代表になっている町工場の社長さんに会ってみました。それで、何度か会合にも顔を出してみたのですが、どうも自分には向いていないのではないかと肌で感じていつのまにか疎遠になってしまいました。いまもたまに新聞に載っているのは見ますが、いまでも、このプロジェクトには注目をしています。

以上のように、D1の最初に、ガツンと一撃くらったことによって、D1の間に、少しずつ自分にとってよい方向にもっていくことができる準備ができたのではないかと思います。

D2の頃は、前半は論文書きや次の研究計画のためにつぶれてしまったのですが、後半は少しだれてしまい、最後は就職活動に突入してしまいました。

博士課程に入って苦しく思ったことは、将来に対しての不安というものも大きかったですが、博士課程に進んだら、その後は大学や国研の研究者になるのが当然だという空気が強いのかなということです。ある若手の研究会に出たときに、ポスドクの方や若手の研究者の方々との懇親会があったので、その席上で、お仕事のことをうかがったり、ポスドク時代の思い出を語っていただいたりしました。そのときに半分冗談だと思うのですが、博士課程の学生は将来のことなんか考えず研究しなくちゃいけないよと言われてしまいました。また、私が就職活動をはじめてから、私が学会の学生委員会で管理していた学会の学生会員向けのメーリングリストで、博士課程の就職活動情報の交換をしないかと呼びかけたとき、「アホか!」という匿名の中傷メールが舞込んできたりして辟易させられたこともあります。それに、同じ博士の学生の中でも、知り合った人の中には民間への就職に興味があるけれども、どうも指導教官に言い出しにくそうにしている方もいました。博士課程に行って、研究に打ちこんでみることで、より自分に研究に対しての適性がないとわかってくることもあるだろうし、他のことをやってみたいと思うこともあると思います。そういうときに、他の選択肢を選びにくい環境があるというのはちょっと嫌だなと感じました。博士課程を修了すると少し学部生や修士卒よりも年をとってしまっていますが、まだ新しい人生を歩むには遅すぎることはないのではないかと思います。

私のように積極的に就職活動をする学生の存在は、あくまでも真面目に大学に残ろうと考えている方々からすれば、腹立たしく思うかもしれません。しかし、大学や国研に学生を吸収するゆとりがなくなり、将来に対する不安が、博士課程の学生全般に閉塞感を感じるこのごろ、新しい可能性の開拓も必要なのではないかと思います。私自身は、就職活動を行い、内定を得ることによって、自分を受け入れてくれるところもあることを知り、とても強い自信をもつことができました。現在は、その自信をばねにして自分の研究を収束させるべくがんばっています。新しくはじめたこともあり、自分にとってなれないこともあって、指導教官にしかられたり、あきれれられたりすることもありますが、しかられるのも今が華だと思ってもう少し励もうと思っています。来年、大学院を卒業するときにはもう少し研究者として立派になっていたいと思います。



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