教師・その本来の意義

名前:柳下貢雄さん 

mitsuo_yagishita@mail.goo.ne.jp

所属:元・公立高校教員


私は、国立の教育大学に入学し、そのまま大学院修士課程教育学研究科に入学しました。その後、国立総合大学の博士後期課程理学研究科に入学し、博士(理学)号を取得しました。このように書くと大学では教育学を専門にしていたのに、どうして博士課程は理学部なのだろうと、少し不思議に思われる読者がいらっしゃるかもしれません。教員養成系大学では、学校の教師として必要な教育学のほかにも、自分で決めた専攻を専門的に学習・研究することになります。私は、理科の地学のなかで天文学を専攻しました。天文学といっても、私の研究分野は望遠鏡を覗いたりしない、理論天文学です。高エネルギー天体の物理的な内部構造を数値シミュレーションによって明らかにすることが、私の研究でした。

教育大学の出身ですので、教員になることはある程度自然なことでした。ある程度というのは、学部の同期生は教員にならなかった人も多かったためです。学位を取得する年に公立高校の採用試験を受けましたが、採用試験の面接時に、試験官から『教員になったら、たとえ教育のことであっても、研究のことは考えないで欲しい』という発言があり、教員とは授業力と同じくらいに研究力も必要だと考えていた私にとって驚き、私はそのように思っていないことを伝えました。それでも教員として採用され、公立高校の教諭として職を得ました。

高校教諭としての生活は、社会的にもまたおそらく経済的にも恵まれており、周りから見れば“何不自由ない生活”であろうと思います。ただし、現在の学校現場は、修士課程を修了した教員はやや多くはなりましたが、一般の公立学校では博士号を取得した教員は極めて少数です。教員社会はよく言われるように、非常に封建的な社会であることを事前に知っておく必要があると思います。また、教員としての勤務実態は、一握りの進学校は別にして、日々生徒指導と学校経営に関する業務で溢れています。もちろん、生徒指導はとても必要なことですし、生徒がいなければ学校が成り立ちませんから、学校経営の業務も必要です。現在の学校という場は、一人一人の教員がオーバーワークになっており、とても他には手が回りません。

また、大学院を出た以上は、常に最新の知識を吸収すべきと思い、NatureやScienceなどの学術雑誌を読みたいと思っても、たとえ勤務時間外であっても、とてもそのような雰囲気ではありません。教員同士の横並び意識が強く、周りと違うことをする教員に対して、嫌悪感をもつ教員が多いのです。また、以前から言われていることですが、現在の教員は、いわゆる「勉強」をしません。周囲から「先生、先生」と持ち上げられているうちに、そのようなことは忘れてしまうのでしょうか。

その一方で、やる気のある生徒たちからは、とても期待されます。生徒は教科書だけからの知識を与えられるのではなく、最新の研究成果などの「生きた」研究成果や、教科書には載っていない、様々な理科の知識を求めています。授業での教材と最新の知見を結びつけ、積極的に科学を「語った」ことは、博士課程での研究活動が役に立った一面であると思います。そんな生徒の声に応えるためにも、博士号を取得した教員は、常に最新の知識を吸収し、自身を高める必要がある(本来の教員とはそのようなものであると思いますが)と強く思います。

このように、児童・生徒のためを考えて教壇に立ち、常に最新の科学研究に目を通し、日常の教材に結び付けるように心掛ける態度が大切だと思います。また、公立学校には転勤があります。各学校の教育レベルはまちまちですが、大学へ進む生徒が少ない高校から進学校へ転勤になったとき、その学校の教育レベルについていけない、という状況も古くからあります。『大学院まで出ているのだから』、というように思っていては大変なことになります。低位校であればあるほど、日常の生活指導やその他の雑事のため、教師自身の進学指導対応はおろそかになり、ややもすれば自分自身の「学習」が隅に追いやられてしまいます。

私はすでに公立高教員から離れていますので、内部の事情などを隠さず書いたつもりです。公立学校を志望する博士課程出身者のための心構えとして、私から言えることは、常に問題解決意識をもつことと、自身の知識レベルを高く保持することに全力を注いで欲しい、ということです。



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